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芭蕉の足跡めぐり15周年の旅 h29.10.25〜28

 芭蕉の墓所がある義仲寺(ぎちゅうじ)を初めて訪ねたのは、2002年10月20日でした。
それから15周年になる今月、大津市の義仲寺などを訪ねました。振り返ると15年もあっという間です。

  2017(h29).10.30 G.kitoh

 下の全写真を左クリックしますと、多少大きめな写真(横1020ピクセル)でご覧いただけます。

2017.10.25 関西空港から大阪

 今回、航空券が安かったのは関西空港着と神戸空港発でした。というわけで、関空からJR快速で大阪に向かいました。ホテル代は、15年の間にずいぶん高く なりました。今回は 大阪リバーサイドホテル に宿泊しました。

ホテル夕食 大阪市都島区中島町

 最上階のレストランで、夜景(大阪城も見えました)を眺めながら味わいました。


【写真:No1 夕食】

10.26 大阪から大津

ホテル前の大川河川敷公園

 川の流れを見ていました。下流を行くと造幣局があります。2015.4 造幣局通り抜け 参照。


【写真:No2 大川下流】

 上流では淀川との境に 毛馬閘門(けまこうもん)があります。2010.11 毛馬閘門参照。 


【写真:No3 大川上流】

松喜屋 大津市唐橋町

 近江牛の老舗です。ランチタイムは手頃な(?)メニューがあるということで・・。


【写真:No4 松喜屋】

 平日ですがほぼ満席でした。ぜいたく重です。


【写真:No5 ぜいたく重】

芭蕉句碑 大津市 瀬田の唐橋 東詰(ひがしづめ)

 昨年近くまで行っていて見落としました。「五月雨に隠れぬものや瀬田の橋」の句は貞享 5 (1688)年の作です。


【写真:No6 芭蕉句碑】

義仲寺 大津市馬場

 義仲寺を訪ねるのは今回で 4 回目です。ススキの向こうに墓があります。


【写真:No7 義仲寺芭蕉の墓】

 芭蕉は元禄7(1694)年10月に亡くなりました。
翌年、義仲寺を詣でた去来は「石塔もはや苔づくや春の雨」と詠んでいます。この句をおもい苔を見つめました。


【写真:No8 墓石の苔】

10.27 大津市

 昨日に続きよい天気でした。三井寺、逢坂の関跡などを訪ねました。

ホテル横国道1号線 大津市粟津町

 ホテルの横に国道1号線があります。この写真の奥が京都方面です。
今日訪ねる「逢坂の関跡」があると思いながら先を見ました。


【写真:No9 国道1号線】

三井寺(園城寺) 大津市園城寺町

 私のところは天台宗です。三井寺も天台宗のお寺ですが、ここは天台寺門宗の総本山ということを最近知りました。
また、三井寺といわれていますが、正式名称は 園城寺(おんじょうじ) ということが分かりました。


【写真:No10 三井寺仁王門】

 近江八景の一つ「三井の晩鐘」です。お布施を行うと鐘をつけるようです。 どなたかが突いてくれ、鐘の音を聞くことができました。


【写真:No11 三井の晩鐘】

 金堂近くの池そばに「三井寺の門たたかばやけふの月」という芭蕉の句碑。
元禄4年の作です。碑裏面に、芭蕉没300年忌建立との文字がありました。


【写真:No12 「三井寺の」句碑】

 境内ではこのような紅葉を見ることができました。


【写真:No13 紅葉】

逢坂の関跡 大津市大谷町

 逢坂の関は、百人一首の「知るも知らぬも逢坂の関」で有名です。2011年1月の新聞に、「百人一首を訪ねて」という特集がありました。そこに載った写真を見 て一度訪ねたいと思いました。


【写真:No14 新聞切り抜き】

 京阪電車京津線大谷駅で降りました。


【写真:No15 大谷駅】

 駅の近くに 蝉丸神社 がありました。知るも知らぬも逢坂の関の歌を詠んだ 蝉丸 を祠(まつ)っています。拝殿の前に神楽殿がありました。 なお、大津に向かう道に関蝉丸神社(上社、下社)があるそうです。


【写真:No16 蝉丸神社】

 旧道沿いに 鰻料理の店「かねよ」があります。向かい合わせで本館とレストラン。 尋ねると、本館は庭が見える座敷でサービス料10%がかかるというのでレストランにしました。


【写真:No17 レストランかねよ】

 午後1時を過ぎていましたが混んでいました。私には量が多かったです。


【写真:No18 かねよ御膳】

 逢坂の関跡碑は、かねよから歩いてすぐです。碑には「逢坂山関跡」と彫られ、常夜燈と並んでいました。
芭蕉が大津を初めて訪ねたのは貞享2(1685)年です。京都から「大津へ出(いづ)る道、山路をこえて」と書いて「山路来て何やらゆかしすみれ草」の句を詠みました。
 この逢坂の関跡を通ったのかと考えていましたが、観光協会のパンフを見るとここより京都寄りのところで大津に向かった(小関越え)とありました。


【写真:No19 逢坂の関跡】

 ここには、蝉丸「これやこの行くも帰るもわかれては 知るも知らぬも逢坂の関」のほかに、清少納言、三条右大臣の歌碑も並んでいました。


【写真:No20 「これやこの」歌碑】

 関跡付近です。左の道が国道1号線で京都方面です。右の脇道が「かねよ」のある道です。 この二つの道の間の下を京阪電車が通っています。右の小さな建物は公衆トイレです。


【写真:No21 国道1号と脇道】

膳所城跡(ぜぜじょうせき)公園 大津市本丸町

 おしまいは、膳所城 跡公園に芭蕉の句碑を訪ねました。
小学低学年の子供たちが句碑に乗って遊んでいました。「湖やあつさをおしむ雲のみね」の句は元禄7年作です。 芭蕉が近江の国、琵琶湖の景観などを愛したことがわかります。


【写真:No22 膳所城跡公園句碑】

 句碑の写真は、碑がよく写るようにしたので湖水と 近江大橋 がうまく撮れませんでした。 それでもう1枚写しました。膳所の夕照?です。


【写真:No23 近江大橋】

 今日はすべて京阪電車に乗って移動しました。お世話になった京阪電車です。


【写真:No24 京阪電車】

10.28 大津市から神戸市

 雨が降ったり止んだりの天気でした。石山駅広場の芭蕉像に挨拶をして帰途につきました。
像の後ろに見えるビルには、入居する店の看板がかかっています。1年前と違った名前の店があります。
 芭蕉がよく言っていた「無常迅速」の言葉を思いました。


【写真:No25 石山駅芭蕉像】

      
      
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