京都・福井へ 2023.11.07〜11.10
2002年(h14)10月に芭蕉が眠る 義仲寺 を訪ねてから21年目を迎えました。
嵯峨日記 の京都と奥の細道の福井を歩いてきました。
2023.11.17 G.Kitoh
下の全写真を左クリックしますと、多少大きめな写真(横1020ピクセル)でご覧いただけます。
2023.11.07 大阪へ
昔は午前発の飛行機で出かけ、その日から歩きましたが、最近は午後の便に乗り最初の日はホテルに泊まるだけです。
今年は山の木の実が不作のためでしょうか、10月下旬から庭にたくさんの野鳥が来ています。
この日も鳥達に見送られて出発しました。
カラ類の野鳥が5種来ています。真冬以外では初めてのことです。
ゴジュウカラは2016年以来7年ぶりに来ました。
【写真:No1 コガラ・ヤマガラなど】
新千歳空港で昼食をとりました。小樽焼きそば を初めて食べました。ビールはお気に入りの サッポロラガー です。
大阪ではホテル近くのお好み焼き店へ行きました。2019年以来の訪問です。
店を続けておられるのを確認するとうれしくなります。入口の人生五訓がいいですね。
【写真:No4 お好み焼き店】
11.08 京都
元禄4(1691)年4月18日、48歳の芭蕉は嵯峨の 落柿舎 に入りました。5月5日に落柿舎を出ますが、滞在中の日記を「嵯峨日記」といいます。19日正午頃から芭蕉は 臨川寺 に詣で、大井川(桂川)、嵐山を眺め、虚空蔵(法輪寺)に参る人の行きかい多しと述べています。さらに小督の墓を訪ね句を詠みました。
ここに出てきた場所を訪ね歩きました。
嵯峨日記には「松の尾里(をのさと)」という記述があります。松尾といえば松尾大社です。電車から鳥居を写しました。
【写真:No6 松尾大社】
阪急電車嵐山駅を降りて 法輪寺 に向かいました。虚空蔵菩薩が祭られ嵯峨の虚空蔵さんと言われています。十三まいり、針供養、漆寺としても知られています。展望台からは渡月橋などが一望できます。
【写真:No7 法輪寺参道】
【写真:No8 法輪寺本堂】
【写真:No9 法輪寺展望台】
小督 を探した 源仲国 が、小督の弾く琴の音を聞いたという橋の碑が 渡月橋 北詰にあります。この碑は1980年に建てられたものですから新しいものです。
【写真:No10 琴きき橋跡碑】
側面に「一筋に雲ゐを恋ふる琴の音にひかれて来にけん望月の駒」の歌が彫らていますが平家物語には載っていないようです。誰の歌でしょうか。
【写真:No11 琴きき橋跡碑側面】
12時近くになったので湯豆腐の店に向かいました。「竹むら」さんは2004年に初めて訪ねてから今回で4回目です。柚子釜が少し前から提供されていました。
女将さんとお話することができました。
【写真:No12 ゆどうふ竹むら】
【写真:No13 湯豆腐】
店を出て 小督 塚に向かいました。途中にある車折(くるまざき)神社嵐山頓宮の門前に、琴聴橋の一部らしきものがありました。芭蕉が訪ねた時でも小督屋敷と呼ば
れるものが3か所あったそうですから、琴きき橋もどれかよくわかりません。
【写真:No14 車折神社嵐山頓宮前】
小督塚の前にある説明版を読むと小督の身の上がわかります。芭蕉が500年ほど経って訪ね、芭蕉が訪ねてから約330年、時の流れを覚えました。
【写真:No16 小督塚】
小督塚の周辺はひっそりしています。桂川の向こうに嵐山があります。
【写真:No17 小督塚周辺】
近くの民家の塀に赤い実の付いた木がありました。調べると ソヨゴ でした。北海道にはない木です。
【写真:No18 ソヨゴ】
桂川下流に向かって撮った渡月橋です。逆光になりませんでした。
【写真:No19 渡月橋】
残るは 臨川寺 です。川に臨むで臨川ですが、桂川に面していると分からずに少し迷いました。
寺は特別拝観日を除いて非公開です。
【写真:No20 臨川寺】
【写真:No21 臨川寺左前】
【写真:No22 臨川寺右前】
嵐電嵐山駅から四条大宮に出て阪急電車に乗り換え大阪に戻りました。
【写真:No23 嵐電嵐山駅】
11.09 福井
来年3月に北陸新幹線は金沢・敦賀間が開業します。それにともない大阪と金沢・和倉温泉間を結んでいる特急サンダーバードは敦賀までの運転になります。その前に敦賀以北まで特急に乗ってみることにしました。
また、芭蕉は福井で等栽(とうさい・洞哉ともいう)宅に二泊し、等栽とともに敦賀を目指しました。
その時「あさむつの橋」を渡り、玉江を通っています。その場所を訪ねてみました。
大阪駅10時12分発のサンダーバード15号に乗車しました。
福井駅12時7分到着です。2008年福井駅に降りていますがすっかり変わっていました。
西口が在来線用で東口が新幹線用です。工事中でした。
【写真:No26 福井駅東口】
西口にハピリンという高層ビルが建ち、その2階に飲食・物産店などが入っている。福福茶屋 という店で昼食をとる。メニューの表紙に通る予定の「九十九橋」が書かれていた。
【写真:No27 福福茶屋】
食べたのは、ソースカツ・おろしそば・海鮮丼のセットです。
歩く予定の場所がわからないのでタクシーで回ることにし、まず九十九橋へ。
昔のこの橋は半分が石材、半分が木材で造られていて奇橋として知られていたそうです。また、橋を南に渡った近くに橘曙覧(たちばなあけみ)の生家跡があることを帰ってから知りました。
橘曙覧については、2019.06.〜07の Photo Gallery で取り上げています。
次に玉江とあさむつの橋を目指しましたが、地元のタクシー運転手さんがその場所を知らず、私がメモしていた住所をカーナビに入れてたどり着いてくれました。
玉江について説明版がありました。石に彫った碑がありましたがよく読めませんでした。橋の銘板には「たまのえにのはし」とありました。漢字では玉江二の橋と書きます。「月見せよ玉江の芦を刈らぬ先」の句は奥の細道には載っていません。
【写真:No31 玉江跡の碑】
【写真:No32 たまのえにのはし】
あさむつ橋は、漢字で書くと浅水橋(あさうずはし)のようです。朝六橋とも書くようです。枕草子に「橋は あさむつ橋 ながらの橋・・」とあるので平安時代から有名な橋だったのでしょう。
西行の「越にきて富士とやいわん角原(つのはら)の文殊がたけの雪のあけぼの」
芭蕉の「朝六や月見の旅の明けはなれ」
を彫った碑がありました。芭蕉のこの句も奥の細道には載っていません。
現在のあさむつ橋はこのような小さい橋です。
【写真:No35 あさむつ橋】
橋の近くに「麻生津郵便局」がありました。「あそうづ」と読みます。住所は浅水町(あそうずちょう)です。地名の読み方は難しいです。
【写真:No36 麻生津郵便局】
福井市内の左内公園に戻ってタクシーを降りました。ここは、芭蕉が訪ね宿泊した等栽宅跡があります。
【写真:No37 左内公園】
橋本左内をたたえた碑もあります。左内が15歳の時に述べた啓発録がありました。
【写真:No38 橋本左内啓発録】
11.10 12時35分発の便で帰途につきました。
8,9日は晴れて天気に恵まれましたが、朝から雨です。早目の昼食はキツネうどんです。
今回は往復スカイマークを利用しました。北海道も雨でした。
【写真:No39 昼食】
【写真:No40 スカイマーク機】
【写真:No41 新千歳空港】