3年ぶりの芭蕉の足跡巡り 2022.10.19〜10.22
2002年10月から本格的に始めた芭蕉の足跡巡りですが、コロナのため20年、21年は中止しました。
今年は20年目の節目の年なので、何としても歩こうと考え6月に航空券とホテルを手配しました。それから4か月たち、無事行くことができました。
2022.10.26 G.Kitoh
下の全写真を左クリックしますと、多少大きめな写真(横1020ピクセル)でご覧いただけます。
2022.10.19 北海道から大阪
芭蕉に興味を持ったのは高校の古文授業で、芭蕉の 笈の小文 を習ったからです。
「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり」という文が心に残りました。
勤めて20年ほど経ったとき、偶々「芭蕉紀行文集」を購入して先の文にであい、いつか足跡をたどろうと決心しました。
20年前の今日、大津市膳所にある 義仲寺 (芭蕉の墓があります) を訪ねるため出発しました。たまたま同じ日の出発になりました。14時55分千歳発神戸行きの便に乗りました。
今日は空から景色を見ただけです。曇っていましたが新潟付近から地上が見えてきました。佐渡島上空です。上部の柏崎付近はよく見えません。
【写真:No1佐渡島上空】
富山県に近づくと山頂が白い山が見えました。白馬連峰 でしょう。
神戸空港に近づくと真下に 明石大橋 が見えました。
【写真:No3明石大橋】
以前訪ねた 須磨浦山上遊園 が見えてきました。右奥に芭蕉が登った 鉄拐山 があります。一の谷古戦場 付近です。
【写真:No4須磨浦山上遊園】
神戸空港では隣に ソラシドエア の航空機がとまっていました。
乗ってきたエアドゥと10月3日に共同持株会社を設立したと機内で案内していました。
【写真:No5ソラシドエア】
2022.10.20 西岸寺(さいがんじ) 京都市伏見区下油掛町(しもあぶらかけちょう)
初めて訪ねる寺です。京阪電車中書島駅の近くにある寺です。
駅を出て北に歩くと 濠川(ほりかわ) があります。坂本龍馬が襲われた寺田屋が近くにあります。
【写真:No6濠川】
西岸寺 を芭蕉は貞享2(1685)年3月に訪れています。野ざらし紀行
に「伏見西岸寺任口(にんこう)上人に逢う」と記しています。
【写真:No7西岸寺入口】
油売りが油をこぼし、残った油で地蔵さんをなでたところ幸運がおとずれたという油かけ地蔵が祭られています。
【写真:No8西岸寺境内】
ここで芭蕉は、
「我がきぬに ふしみの桃の 雫(しずく)せよ」
と読みました。
濠川(ほりかわ)の所に坂本龍馬とお龍の像が建っていました。
傷を負った龍馬は、お龍と治療のため薩摩に向かったそうです。
【写真:No10龍馬とお龍の像】
近くに 金木犀 が咲いて、マスク越しに香りを楽しみました。
【写真:No11金木犀】
ホテルに戻り、20年記念に 錦秋会席 を味わいました。
横の掛け軸を見ると芭蕉の句が書かれていました。この句は、西岸寺を訪ねる前に奈良の道で詠まれたことが分かりました。
【写真:No12掛け軸】
土瓶蒸しには松茸、鱧、銀杏などが入っていました。
【写真:No13土瓶蒸し】
2022.10.21 當麻寺(たいまでら) 奈良県葛城市(かつらぎし)當麻(たいま)
以下では 当麻寺 と記します。当麻寺は2008年に訪ねています。
当麻寺と 須磨寺 は、もう一度訪ねたいところでした。
近鉄電車当麻寺駅から寺に向かいます。道路のマンホール蓋には、
東塔、西塔、二上山、ボタンの模様が描かれています。
【写真:No14当麻寺への道】
門前の店で、「柿の葉寿司とにゅうめん」の昼食をとりました。08年のとき食べた店は休業していました。
【写真:No15昼食】
当麻寺仁王門です。右の像は修復中でいませんでした。
【写真:No16当麻寺仁王門】
たくさんの僧房がありますが、中核は 中之坊 です。庭園をみて、抹茶をいただきました。ボタンは春ですから咲いていません。
【写真:No17中之坊】
貞享元(1684)年9月、ここを訪ねた芭蕉が詠んだ句碑があります。
庭上の松を見て、
「僧朝顔 幾死かえる 法の松」
と詠みました。
【写真:No18芭蕉句碑】
庭園から見上げた東塔です。
【写真:No19東塔】
池に東塔がはっきりと映っていました。
【写真:No20池に映った東塔】
中之坊を出て西塔を見ました。
【写真:No21西塔】
前回は時間がなくて、両塔を一緒に撮ることができませんでした。
今回一緒に撮ることが目的でした。右が西塔です。
【写真:No22西塔と東塔】
2022.10.22 須磨寺 神戸市須磨区須磨寺町
須磨寺 は2007年2月の寒いときに訪ねました。今回は暑いくらいの日でした。山陽電車須磨浦駅から向かいます。
【写真:No23須磨寺駅】
昼時になりまず昼食をとりました。15年前に食べた寿司屋さんが営業していました。写真の他に茶わん蒸しなどがつきました。
【写真:No24昼食】
須磨寺に向かうと新しい建物ができていましたが、仁王門は昔のままでした。
【写真:No25須磨寺仁王門】
源平の庭近くに蕪村の句碑がありました。
「笛の音に 波もよりくる 須磨の秋」
一の谷での 平敦盛 と 熊谷直実 の一騎打ちの場面を再現しています。
右の扇をあげているのが熊谷直実、振り向いているのが平敦盛です。
源平の庭を階段を上ってみて見ました。
平敦盛800年忌、須磨寺開創1100年を記念して1984年に再興されたものです。右下は出世稲荷です。
大きな芭蕉句碑があります。
芭蕉は貞享5(1688)年4月須磨寺を訪ね
「須磨寺や ふかぬ笛(ふえ)きく 小下(こした)やみ」 と詠みました。
(ここ須磨で青葉の笛を吹いた若き公達敦盛が死んでいったのは、はるか昔のこと。であれば笛の音が聞えてくるわけも無い。しかし、その笛の音が聞えてくるような幻想に襲われる、須磨の木下闇に佇んで(たたずんで)いると。)の意味
宝物館に敦盛が持っていた青葉の笛が展示されています。
平家物語では小枝(さえだ)の笛、芭蕉の書簡では蝉折・こま笛と記しています。小枝・蝉折が青葉の笛で、こま笛が高麗笛でしょう。