大阪・桑名・神戸_2010(h22)06.11
5 月 20 日から 22 日、大阪・桑名・神戸を回りました。
2010(h22).06.11 G.Kitoh
大阪市福島区「了徳院」_2010(h22).05.20
了徳院
了徳院を訪ねるのは2回目でした。
境内にある藤の花は終わっていましたが、句にある 杜若が咲いていました。
句碑は右側の茶色い石です。元禄元(1688)年 4 月 13 日、芭蕉45歳の作です。
マンション庭の句碑
了徳院の裏にあるマンションの庭にある句碑です。
庭は草木に覆われていていて句碑がすぐには分かりませんでした。
了徳院にある句と同じものが刻まれています。
三重県桑名市 「焼蛤」_2010(h22).05.21
桑名といえば「蛤 (はまぐり) 」 ということで
丁子屋 (ちょうじや)(天保14(1843)年 創業の店)に行きました。
焼蛤と酒蒸しを食べました。
桑名は泉鏡花の小説 「歌行燈(うたあんどん)」 の舞台でもあります。
歌行燈という名前の店 (うどん屋?) がありました。
桑名市長島町 「大智院 (だいちいん)」_h22.5.21
大智院
奥の細道の旅を大垣で終えた芭蕉は、元禄2(1689)年 9 月 6 日伊勢へ向けて揖斐川 (いびがわ)を下りました。
この時、木因(ぼくいん) は長島まで送っています。
芭蕉と曾良は長島の大智院に泊まり、「憂きわれを寂しがらせよ秋の寺」の句を詠んでいます。
大智院 「憂きわれを寂しがらせよ秋の寺」の句碑
桑名市地蔵 「龍福寺」_2010(h22).05.21
桑名市地蔵 龍福寺
貞享 元(1684)年 8 月、芭蕉は「野ざらし紀行」の旅に出ました。11 月上旬頃 木因と桑名に滞在しています。
浜の地蔵にも参詣し、「明けぼのやしら魚しろきこと一寸」の句を詠んでいます。芭蕉41歳です。
龍福寺 「明けぼのやしら魚しろきこと一寸」の句碑
龍福寺 芭蕉と木因の句碑
木因は大垣の船問屋でした。
芭蕉と親しくここでは、芭蕉の初案の句
「雪薄し白魚しろきこと一寸」と木因の「白うをに身を驚くな若翁」の句が並んでいます。
しかし何があったのか二人は疎遠になり、完成した「奥の細道」では大垣で芭蕉を出迎えた木因の名前が消えています。
桑名市北寺町「本統寺」_2010(h22).05.21
桑名別院(くわなべついん)本統寺(ほんとうじ)
桑名別院・本統寺は徳川家茂や明治天皇が宿泊した由緒あるお寺です。
芭蕉はここに宿泊しています。
「野ざらし紀行」では、桑名本統寺にて 「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす」と記しています。
本統寺「冬牡丹」句碑
神戸市中央区 「布引の滝」_2010(h22).05.22
布引の滝
芭蕉は元禄元(1688)年 4 月 13 日大阪に滞在したあと須磨・明石を回り 4 月 21 日布引の滝を見物しています。
故郷の惣七(俳号:猿雖(えんすい))宛の手紙に書いています。
この手紙では源平の戦にもふれ 「生死事大(しょうじじだい)無常迅速、君忘るる事なかれ」 とも書いています。
この時の旧暦4月13日は、新暦に直すと5月20日のようです。
ほぼ同じ日に芭蕉が見た滝を見ていると思いました。
雄滝(おんたき)