かねて新潟に芭蕉と良寛を訪ねたいと考えていましたが、 10月1〜3日で実現しました。
良寛が芭蕉をたたえていた(漢詩「芭蕉」是の翁以前此の翁無く 是の翁以後此の翁無し 芭蕉翁、芭蕉翁 人をして千古此の翁を仰がしむ)ことがわかり、良寛の故郷出雲崎を1日歩きました。
2014(h26).10.06 G.Kitoh
柏崎市 2014(h26).10.01
新潟空港から新潟駅に出て、快速「くびき野」で柏崎へ。
ここは晩年の良寛の弟子 貞心尼 が、1872(明治5)年75歳で亡くなった地です。
釈迦堂 東本町1丁目16
良寛70歳、貞心尼30歳の時に二人は出会っています。良寛没後、貞心尼は柏崎に戻り釈迦堂の庵主になりました。
【写真:釈迦堂】
柏崎市立図書館 学校町2丁目47
図書館に貞心尼が書いた「蓮の露」が置いてあるので行きました。復刻版を手にとって、釈文と見比べて読みました。
【写真:蓮の露】
【写真:蓮の露解説】
図書館の庭に托鉢姿の貞心尼像がありました。
【写真:貞心尼像】
出雲崎町 2014(h26).10.02
奥の細道の旅で、芭蕉が出雲崎を訪ねたのは1689(元禄2)年です。その69年後1758(宝暦8)年に良寛はこの地に生まれました。 柏崎からレンタカーで海沿いの道を出雲崎に向かいました。
道の駅「越後出雲崎天領の里」 尼瀬6-57
出雲崎は江戸幕府の天領でした。道の駅には良寛と芭蕉の像がありました。
良寛の幼少(栄蔵といいました)の像
【写真:幼少の良寛像】
芭蕉も栄蔵も海の向こうの佐渡島を眺めていました。
【写真:芭蕉像】
昼食は、レストラン「陣や」で刺身定食にしました。
【写真:昼食】
良寛堂 石井町60-乙
道の駅には人がいましたが、ここには誰もいませんでした。
良寛は堂を背にして佐渡島を見つめていました。良寛の母は佐渡出身です。
【写真:良寛像】
良寛堂は1922(大正11)年建立です。
【写真:良寛堂】
【写真:良寛堂案内板】
良寛と夕日の丘公園 米田1番地
海側から奥にはいると、良寛記念館と良寛と夕日の丘公園があります。
公園には良寛像などがあり、海を見渡すことができます。
子どもと遊ぶ良寛像。
【写真:子どもと良寛像】
私の好きな歌が句碑になっていました。
【写真:世の中に碑】
この丘から 妻入り の街並みがよく見えます。
【写真:妻入りの風景】
光照寺 尼瀬1280
18歳の良寛は、この寺で剃髪し出家しました。入り口に「良寛禅師剃髪之寺」という碑が建っています。
【写真:剃髪の寺碑】
中に上がり良寛の書や像を拝見しました。
【写真:光照寺】
芭蕉園 住吉町556ー甲
芭蕉の小さな像などが建っています。
【写真:芭蕉園説明版】
【写真:芭蕉園芭蕉像】
妙福寺 尼瀬1592
芭蕉、支考(東華坊)、支考の弟子盧元坊の3人の句を彫った俳諧伝灯塚があります。
【写真:俳諧伝灯塚解説】
急な階段を上った所に妙福寺はありました。
【写真:俳諧伝灯塚】
青梅川(おうみがわ)駅 2014(h26).10.03
3日目は新潟に行く前、柏崎駅から二つ隣の青海川駅へ行ってきました。
海に近い駅ということで、知る人ぞ知る駅らしいです。私は春トワイライトエクスプレスに乗車した時、信号故障で大幅に遅れこの付近に停車したので
海と高い道路を見たいと思いました。
その後は、越後線を通って新潟に出ました。
青海川駅 柏崎市大字青海川
無人駅です。カメラを持った人が海側のホームに一人いました。
途中で遠足の中学生が来て記念写真を撮って行きました。
【写真:駅舎】
山側には赤い橋桁の国道があり、奥に北陸自動車道が見えます。
【写真:山側の風景】
海側のホームから撮った写真です。
【写真:海側の風景】