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大阪・敦賀

 4月20〜23日、敦賀市色ヶ浜をメインに歩いてきました。
敦賀には2006年11月に訪ね、気比(けひ)神宮、金前(こんぜん)寺、気比の松原と回りましたが色ヶ浜には行けませんでした。今回念願が叶いました。

  2016(h28).4.27 G.Kitoh


 下の全写真を左クリックしますと、多少大きめな写真(横1020ピクセル)でご覧いただけます。

2016.4.20

敦賀半島

 伊丹行きの飛行機が敦賀半島の上を通りました。今回訪ねる色ヶ浜はあの辺りとみていました。


【写真:No1 敦賀半島】

瑞輪寺 豊中市中桜塚2-2-24

 阪急電車岡町駅で下車、駅東にある瑞輪寺に向かいました。ここには一休禅師の息子の墓があると聞いていました。


【写真:No2 紹偵の墓】


【写真:No3 紹偵の墓説明板】

 摂津に住んだ俳人水田西吟(みずたさいぎん) の塔がありました。1648年頃〜1709年といいますから、芭蕉と同じ頃の人です。


【写真:No4 西吟の塔】

2016.4.21_大阪から敦賀

 敦賀に着く前から雨になりました。2006年も雨でした。
芭蕉が敦賀を訪ねたのは、1689(元禄2)年8月14日です。翌日の仲秋の名月を敦賀で見るためでした。15日は雨になり「名月や北國日和定めなき」の句を詠みました。

 4月21日は、旧暦3月15日で満月の日でした。
月は違いますが、芭蕉と同じように名月を期待したのですが、北國日和はあてになりませんでした。

気比神宮 敦賀市曙町11-68

 敦賀駅から気比神宮まではアーケードがあるので行ってきました。
大鳥居は、日本三大木造大鳥居の一つです。


【写真:No5 気比神宮大鳥居】

 芭蕉像や句碑があります。像の下の句は「月清し遊行(ゆぎゃう)のもてる砂の上」。


【写真:No6 芭蕉像】

 敦賀で芭蕉が詠んだ、月の句を5つ選んで碑にしています。
真ん中の句は「ふるき名の角鹿(つぬが)や恋し秋の月」です。角鹿は、敦賀の古名です。


写真:No7 月五句碑】

 気比のみや、という前書きのある「なみだしくや遊行のもてる砂の露」句碑。


【写真:No8「なみだしくや」句碑】

レストランうめだ 敦賀市相生町2-16

 芭蕉が敦賀で泊まった出雲屋という宿は、このレストランの付近ということです。
(最近?)閉店しましたという看板が立っていました。


【写真:No9 レストランうめだ】


【写真:No10 芭蕉逗留屋敷跡】

 レストランうめだで、敦賀名物「ソースカツ丼」を食べる予定でしたが閉まっていたので近くのヨーロッパ軒で食べました。これで普通盛りです。


【写真:No11 ソースカツ丼】

敦賀シンボルロード

 敦賀駅から気比神宮まで、銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトのモニュメントが並んでいます。


【写真:No12 シンボルロードの像】

2016.4.22_敦賀から大阪

 朝はまだ雨が降っていましたが、色ヶ浜に向かう頃には止んできました。
バスは1日3便しかないので、行きはタクシーに乗りました。途中の常宮(じょうぐう)神社に寄りました。

常宮神社 敦賀市常宮13-11

 常宮神社には、ますほの小貝が置いてあり、持って帰ることができると本に書いてありました。
神社には、敦賀城主であった大谷吉継(関ヶ原の戦いで有名ですが敦賀城主だったと初めて知りました)が奉納した国宝朝鮮鐘があります。


【写真:No13 常宮神社】

 ますほの小貝と対面しました。


【写真:No14 はすほの小貝】

色ヶ浜 敦賀市色浜

 住所表示は色浜(いろはま)です。
芭蕉は「十六日、空霽(はれ)たれば、ますほの小貝ひろはんと、種(いろ)の浜に舟を走(は)す」と記しています。
まず、芭蕉が茶を飲み、酒をあたためた侘びしき法花(ほっけ)寺、本(ほんりゅう)寺を訪ねました。
正面に「衣着て小貝拾わんいろの月」の句碑があります。


【写真:No15 本骼宦u衣着て」句碑】

 隣には、小萩ちれますほの小貝小盃の句碑があります。


【写真:No16 本骼宦u小萩ちれ」句碑】

 もう一つ「浪の間や小貝にまじる萩の塵」の句碑も。


【写真:No17 本骼宦u浪の間や」句碑】

 すぐ前の浜辺に出て、ますほの小貝をさがしました。


【写真:No18 浜辺】

 はすほの小貝は、1p前後の淡紅色の小さな貝です。拾うことができました。


【写真:No19 ますほの小貝】

 海には水島が見えます。左右の島は砂州でつながっているそうです。
夏はボートで島に渡ることができ、海水浴客で賑わうそうです。


【写真:No20 水島】

 帰りバス停に向かう道に本骼寢J山堂があり、ここにも句碑がありました。
「寂しさや須磨にかちたる濱の秋」のとおり、静かなところでした。


【写真:No21 本骼寢J山堂「寂しさや」句碑】

 ここに西行の「汐染むるますほの小貝ひろふとて 色の浜とはいふにやあるらむ」の歌碑も建っていました。
西行は平安末から鎌倉初期の人です。この頃から、ますほの小貝は知られてい たと考えると歴史を感じます。


【写真:No22 本骼寢J山堂西行歌碑】

2016.4.23_大阪

 宿泊したホテルが天満橋近くでした。京阪天満橋駅から中之島線で一駅隣り「なにわ橋」に行って、中之島公園を歩きました。

中之島公園 大阪市北区中之島

 よく晴れた日でした。まず目についたのが大阪市中央公会堂でした。
結婚式場としても利用できるようです。公会堂から少し離れた芝の上で新郎・新婦が記念写真を撮っていました。


【写真:No23 中央公会堂】

 土佐堀川沿いに西に行くと、三好達治の「乳母車」という詩を彫った碑があります。
碑の前には、ツルキキョウが花を咲かせていました。


【写真:No24 三好達治詩碑】

 中央公会堂の隣りが大阪府立中之島図書館、その隣りが大阪市役所でした。
図書館の建物は重要文化財に指定されています。中に入り本を読みたかったのですが時間がありませんでした。


【写真:No25 府立図書館】

      
      
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